本書は先日塀の中に落ちた大王製紙の元社長会長を務めたティッシュ王子こと井川意高による懺悔録である。章立ては以下の通りである。
第一章 灼熱 シンガポールのマリーナベイサンズのカジノで破滅する瞬間
第二章 追憶 小中高大の思い出
第三章 邁進 超名門筑駒を経て天下の東大法学部を経て家業大王製紙に入社
第四章 君臨 井川家の御曹司として帝王学を学び順調に出世する意高
第五章 疼き 表向きの順調な出世の裏で、芸能人との交際に逃避する意高
第六章 放熱
六本木西麻布では飽き足らずカジノでのギャンブルに開眼する意高
第七章 熔解 カジノでの負けを取り返す為、巨額の資金を会社から引き出し逮捕される
第八章 灰燼 懲役四年の実刑が確定
終章 下獄
世間では第五章の疼きに記載された芸能人との交際の様子（2名を除き実名で登場）に注目が集まっているようだが、それはあくまで刺身のツマであって、本書のキモはなぜ莫大な個人資産を持つ井川意高が、なぜその個人資産の過半を蕩尽するまでに至ったかについての克明な記録である。とりわけ第7章に記載された意高がカジノにのめり込み数十億単位で借財を重ねていく過程のリアルな描写（内面心理の推移を含む）は迫力があり貴重だ。
井川意高は超がつく国立の名門校筑波大附属駒場中学校高等学校の出身である。中学入試を経験した人ならご存知と思うが筑駒は首都圏十五万人の児童のトップ中のトップのみが入学を許される文字通りの超名門校である。本書にもある通り、筑駒の授業そのものが優れているわけではない。むしろ筑駒はへんてこな教師の吹き溜まりみたいなところであって、その例として高校の日本史の授業が取り上げられている。筑駒高1年の日本史の授業は1年かけて明治14年の政変をじっくりやり、2年になると明治15年をやり、高校3年では明治16年のみをやったんだという。こんな授業でも卒業生140人中100人から120人が毎年東京大学に入学していくのである。東大合格のトップは開成の200人だが、開成は1学年400人もいる。
本書を読んでも、この井川意高という人は極めて優秀な大秀才であることが分かる。例えばカジノでギャンブルにのめり込みつつ、カジノの仕組についてちゃんと分析している。カジノとは、一般人が行く、いわゆる大広間（平場、ザラ場）は賭け金も少なく基本的に儲からない場所なんだそうだ。ではカジノはどこで儲けているかと言うと、その大広間の遥か上の階にある巨額の資金を賭けに来る大金持ちが集うVIPルームで儲けていて、ここではひと勝負が数百万円単位であることが普通だ。これだけの金額をかけてジャンジャンすってくれるのだから、こうしたVIPは往復のファーストクラスの飛行機代ただ。出迎えはロールスロイス（たまに品下がる
BMWのときもあるそうな）でホテルもスイートルームというあんばいだ。もちろん全部タダだ。マカオではこれにジャンケットというホテルのコンシェルジェ、デパートの外商みたいなのが付く。こいつが勝負中の飲食の手配から女の手配まで全部やってくれる。このジャンケットの一番の機能が実は金貸しで、負けが込んですっからかんになっても「資金を融通しますから、それで今までの負けを取り返しませんか」と悪魔の囁きを行うのである。このジャンケットこそが井川意高を地獄の底へと転落させた装置のキモである。お人よしの意高は自らを破滅させたマカオのジャンケットに対し「何の恨みも無い」と繰り返しているが、このジャンケットこそが意高を食い物し大王製紙から巨額の資金を引き出した張本人だと私は睨んでいる。
国語が得意だったという大秀才だけに本書の文章は平明で分かりやすく、上記のカジノ構造分析のように随所に明解な解説が差し挟んであり読みやすい。その大秀才がどうして自らを滅ぼし、その家族を離散させ、井川家がもつ大王製紙株のほぼ全てを処分せざるをえなくなるまでカジノにのめり込んでいったのか。この原因に関する本人の告白が、実は本書の核心である。意高曰く、彼の父親の高雄は暴君で、彼は帝王として半永久的に彼の上に君臨し彼を支配する父親に対する抜き難いエディプスコンプレックスを持っていた。そもそも彼は家業大王製紙に入社したくなかったしそこで社長なんかやりたくなかったそうだ。父の命ずるままに大王製紙に入社し父親の期待にこたえるべく懸命に働いて、ある程度の成果を出してはいたが、決してその仕事が好きではなく、大王製紙で仕事をしていて「楽しい」と思ったことは一度も無いそうだ。自分の運命として仕方なく働き仕事をしてはいたものの、「私にとって大王製紙での仕事は苦痛でしかなかった」とまで彼は本書で言い切っている。本書は刑務所の塀の向こう側に転落する前に彼が渾身の力を振り絞って書いた父親への反抗の書であり絶縁状であると私は思った。
本書のあらすじを妻に言うと「なにを甘ったれているのよ。その人！」とのクレームに近い叫びを発した。しかし男である私は意高に激しく同情している。階級社会であった江戸時代、明治時代ならいざしらず自由平等の現在において、生まれる前から自分の知らないところで勝手に決まっている運命を受け入れるということは並大抵のことではない。家業など大抵の男はやりたくないのである。自分の人生は自分で選びたいのである。それでも家業を継がねばならない人は確かにいる。本書に出てくる市川海老蔵しかり。東儀秀樹しかりである。散々反抗を繰り返した挙句、市川海老蔵はおさまる鞘におさまったが、東儀秀樹は宮内庁の全てを敵に回した挙句、雅楽師の職を放棄してしまった。井川意高は、ある意味で最後の最後まで葛藤を続けていた。その葛藤を晴らす為、酒におぼれ、ギャンブルに耽溺したのである。「人生、あきらめが肝心です」と経営学者楠木建教授はのたまうが、意高は最後まで「あきらめられなかった」のであろう。この葛藤が見ていて悲しいし可哀そうである。広尾に大邸宅を構え、数百億円？の個人資産を持ち、二人の子供のいずれもが慶應幼稚舎から慶応大学高校へと進学する一部上場企業の社長でも不幸な人間というのは確かにいるのである。
本書には面白い付録もついている。第八章に出てくる売文業者佐野眞一に対する筆誅がそれだ。「ハシシタ」なる怪文書を週刊朝日に掲載して大問題になったこの佐野なるゲス野郎は、井川意高が逮捕されるや、ろくな取材もせずにウソ八百を並びたて
講談社の週刊現代という公器を使って被疑者井川意高及び井川家に対し徹底的な個人攻撃、誹謗中傷を繰り返した。一番笑っちゃうのが
身長150センチ前後の父親井川高雄が息子の全てに高という字を入れて名付けたことを持って「井川高雄はチビであることについてコンプレックスを持っていた」等と勝手な作り話をでっちあげたことであろう。なぜ高という漢字を入れたかと言えば、それは
身長とは全く関係がなく、単に「祖父の井川伊勢吉の本名が高助だったからだ」という指摘には思わず笑った。この佐野眞一なるゲスな売文業者の文章は、私もかねてより「下品だな。個人攻撃、誹謗中傷が多すぎるな」とは思っていたが、まさかこんなインチキ野郎だったとは思わなかった。天網恢恢疎にして漏らさずとはこのことだ。ハシシタ事件で佐野も大炎上し、相当ダメージを被っていることは間違いない。佐野には断筆宣言をすることをおすすめする。
発売から十年が経った今なお、この作品の虜のまま。いささか牽強付会に曲解や飛躍にまみれているかも知れないけれど、およそ下敷きにされたであろう作品を探すだけでもその量たるや膨大です。有力な資料はスティーブ・フェントーンの『Anti Cristo』と、地獄行きへの猶予を得るために悪魔によって恥辱の限りを尽くされるジェラルド・ダミアーノの『ミス・ジョーンズの背徳』か。両作品の薫陶や系譜を感じさせるものの、しかし全体像は未だに掴めてさえいない。
孤児と暮らす教会を守るため、ヒロイン桜野麻梨愛は鬼と悪魔がひしめき蠢く地獄にその身を投じます。むせかえり溢れかえる糊のごとき粘液をぶちまけられ、思ってもないことだけを言わされ、したくもないことだけをさせられ、意思も感情も行動さえも剥奪される。なのに置かれた状況や事態、信仰する戒律にがんじがらめにされたヒロインはそれでもなお
「神に仕える身でありながら色情を催させたる私の不徳、すべてこの身からでた過ち」
と罪をしょいこみ神に慈悲を乞うのです。この能動と受動の逆転はプラトンの『饗宴』で描かれた、引き裂かれた自己のように綿密に乱暴に入念かつ丹念にヒロインの肉体と精神を破壊していきます。どんどん元の人格と剥離していくヒロインの弱味をひた隠しにする健気は皮肉にも、思考も感情も行動も寸分の齟齬もない鬼畜の尽きぬ欲望に拍車をかける悪循環、招く不幸をより凶悪なものとしてしか作用しません。鬼畜に分かれ道や交差点のような複雑な心の葛藤なんてふさわしくないとはいえ、ひたすら妥協や容赦の一切ない不条理に責め苛まれていくのです。ヒロインたちもプレイヤーさえも。
なにしろ十年前の作品なので昨今の作品にはだいたい常備搭載されている萌え・アヘ・淫語・動画はなし。想像力より視覚的な刺激を欲する方には不向きであるかも知れません。しかしそれでも魅了されずにおれないのはサドの『美徳の不幸』の醸す禁忌の芳香を、この作品もはなっているからだと思うのです。怒りに満ちた鉢が地にぶちまけられ、ヒロイン救出に立つ四人は重い出自や生い立ちを持つ黙示録の四騎士、選択次第で気高く強い聖母は堕したる大淫婦バビロンへと変貌する。発売から十年が経った今なお、この作品の虜です。
