例えば、日本人が北島三郎の歌を聴いて
「これぞホンマの日本人よね!」「サブちゃんこそ日本人の魂を歌うホンマモンの歌い手や!」
と思う人はどれくらいいてるだろう?失礼ながらそう思える日本人は限りなく0に近いと思う。
何故か?これは北島三郎が悪いわけではなく、僕自身が北島三郎を嫌っている訳でもない。
理由はほとんどの日本人が北島三郎の音楽を知らない。演歌と言う音楽がほとんどの日本人に浸透しておらず、形骸化したまま時が過ぎ、お年寄りや一部のファンにしか受け入れられずそのままになっているというのが最大の理由ではないだろうか。
(たまたま日本が生んだ国産音楽=演歌と言うイメージで結び付け、その代表格として思い浮かんだのが北島三郎であったため、1つの表現手段として用いただけであり他意は全くありません。)
その点
ブラジル音楽はどうか?日本と同じ様に
ブラジル人の心を歌う
ブラジル音楽は受け入れられずにそのまま形だけになり時代に取り残されているんだろうか?答えは全くのNO。
NOどころかその真逆で年々進化し受け入れられ、ジャンルも多様化して行く
ブラジル音楽は
ブラジル国内だけでなく、まるでジャックと豆の木に出てくる大木の様に世界中へとその蔓を伸ばし枝葉を生い茂らせている。
ではその理由は何か?日本の演歌の様に形骸化して時代に取り残されずに進化して行く違いは何か?
ご存知の通り
ブラジルはもともと約50種類の部族から成立するインディアンが先住民族として棲息しており、そこへ15世紀くらいに
ポルトガルから来た冒険家達によって入植され、土地開拓の労働手段として冒険家達はインディアンを利用しようとしたが元々インディアンには労働と言う概念がないため冒険家達からしたら使い物にならなかったため、その代打として連れて来られたのがアフリカの黒人達であり、そこでも奴隷として利用されたのである。
ここから
ブラジルは白人、黒人、先住民族と言う多種多様な人種が存在する国家へと発展して行ったのだが、まさにここに未だに進化し続ける
ブラジル音楽と旧態依然とした日本の音楽市場の違いがあるように思う。
言わば
ブラジルには元々「
ブラジル人」と呼ばれる人種は存在せず、入植者としてやって来たヨーロッパからの白人と奴隷として連れて来られたアフリカの黒人が混ざって成立したのが「
ブラジル人」であるとしたら自ずと浮かんでくる疑問は「私は一体誰なんだ?私のルーツはどこなんだ?」と言う疑問がほとんどなのではないだろうか。
その疑問を代弁したり、新たな価値観、アイデンティティを指導したり表現するために音楽を手段として選び大衆にアピールし、大衆もそのアピールを受け入れ判断する、その能動的なムーヴメントが枯れる事なく続いている所が
ブラジル音楽の真骨頂であり魅力であり、日本の音楽市場や文化にはない構造だろう。
大真面目に書いたけど、
ブラジル音楽はホンマに最高です。
MPB,パゴーヂ,ミナス派,それこそ記憶できない位に細分化されたジャンルがありますが、
ブラジルの国土の広さと北部、南部、東部、西部が
ブラジル国内にありながら全く別の文化を持った4つの独立した国のようになっているので、そういった地域性が理由でジャンルが細分化されてますが、ホンマに魅力的な音楽ばかりなんで、皆さんに聴いてもらいたいです。