阿部薫の音色は美しい。それは彼が晩年使用していたギターやハーモニカにおいても同様である。そこには物語はなく、純粋な行為としての音があるだけだった。このアルバムに記録されたアルトサックス、ソプラにーノによるインプロビゼーションは30年近くたった今もそのことを雄弁にかたっている。とはいえ、ソプラにーノ・インプロビゼーションに哀歌を感じてしまうのはいいすぎでしょうか。
子供がまだ小さかったので、DVDで始めてみました。 幸人さんが大好きな子供が、”ミニミニ幸人”に大歓声。 何度も何度も見ていました。 大人も、大笑いでした。 TVシリーズとはまた違い、とても楽しかったです。
何度でも繰り返し見てしまうDVDは宝物。このDVDは、まさにそれ。どんな気分のときでも晴れやかな気分にさせてくれる。元々ミスチルファンだったので購入したが(主題歌もBGMはすべてそう)見ているうちのめりこんでくる。何しろ役者がいい!いや脚本もいいのだろう!何度も吹き出してしまうのだ。これ見て笑わない人がいたらお目にかかりたい!けれど決してそれだけではないのだ。じ~んとしてくる!泣けてくる!人間が好きになる!そして結局ハンサム主人公4人のファンになってしまうにチガイナイ!あなた・・買うのを迷っている場合ではありませんよ。早く手に入れていい気分になってほしい。そしたらつい桔平ちゃんのように言ってしまうかも。「悪くないねぇ~」
阿部薫を知るのに一番手っ取り早い方法は音を聴く事なのかもしれないが、この本は生前に交流のあった人たちの証言やエピソードなど、貴重な情報が満載である。あのスピード感に溢れたアルトの音色と同様、その生き様も疾走という表現がピッタリである。破天荒なイメージが先行しがちだが、本当はとても心の優しい人であった事が随所に感じられる。阿部薫が晩年に出演していたライブハウスのオーナー、騒 恵美子さんのリアルな証言は読んでいて涙が出そうになるほど胸にジーンとくる。
われわれが慣れ親しんだ音楽は、錯誤や留保や変数性に彩られた行為であることで無限性または普遍性を獲得していると思うのだが、阿部薫の演奏は、本人もどこかで言っていたと思うが、たんに即興であるだけでなく、音そのものの純度と精度を極限まで厳格に追求した結果、また、そのような企てが少数の者にしかなされ得ないというだれの責任でもない現実に反照して、あのような度外れに孤絶した表現としてわれわれの前にある。 いいかえれば、近代・現代の音楽が少なからず内包している解放とか進歩、変革、共感・連帯といったベクトルは、彼にとってほとんど関心の埒外にあったのだろう。 両者の善悪・上下・尊卑・好悪や革命反革命の別は完璧に無意味だ。 われわれは奇跡かあるいは何かの間違いのように行われ、記録された人間の稀有な到達点の一つに身を曝す権利を有しているということを知ればいいのだ。 それにしてもここにいる彼はとんでもなく若い。 未来が約束され難いほどに若く、それゆえに苛烈だが驚くほどにやさしい。
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