アルフレッド・リードの『
アルメニアン・ダンス』の第1楽章や第4楽章をコンクールの自由曲として聴くことはありますが、全曲をまとまって聞くことはほとんど無いので、このアルバムの価値はその意味でも大きいと捉えました。
佐渡裕の熱い指揮者魂がストレートに感じられます。シエナ・ウインド・オーケストラも、指揮者の意図をくみ取り、これ以上ないという限界まで吹きならし、壮大な曲を一気呵成に演奏していました。圧倒的な迫力でリスナーを釘づけにする演奏はそうないでしょう。
元の素材の
アルメニア民謡のメロディや旋律に負うところもあるのでしょうが、偉大な作曲家アルフレッド・リードにとっても代表作なのは間違いありません。リーフレットの解説を記した富樫鉄火氏は、1997年のシエナの演奏を聴いた作曲家リードが「終演後、興奮覚めやらぬ様子で佐渡の楽屋を訪れ『いままで聴いた中で最高の演奏だった』と絶賛している」というエピソードを披露していますが、その情景が伺えるような演奏でした。2004年12月20日に
横浜みなとみらいホールで収録されたものです。
カッ
プリングのアダム・コーブ作曲「メトロポリス」でもシエナの演奏技術の卓越性を聴き取りました。パーカッションが大活躍する曲で、バーンスタインのウェスト・サイド物語を彷彿とするような
ジャズ・サウンドが炸裂する曲です。
ジャズのリズムと和声の要素が強い難曲ですが、聴く側に取って見ればこんなに活力に満ちて変化に富んだ楽曲はそうありません。シエナの優れた管楽器奏者はもとより打楽器奏者各人の実力の高さが如実に感じられる演奏でした。『
アルメニアン・ダンス』に付けたしたような曲ではなく、このアルバムの掉尾を飾るに相応しい選曲と演奏だったと高く評価しています。2006年12月22日に
横浜みなとみらいホールでのライヴ演奏でした。
アルメニア出身の映画監督。長編は4本しか残していないとのこと。
本作発表後、いわれの無い罪で投獄されました。これに対し、フェリーニ、ロッセリーニ、ヴィスコンティ、トリュフォー、ゴダールといった映画人が抗議をし1977年に釈放されたそうですが、その後も(旧ソ連時代)軟禁されるなど苦労の連続だったようです。
アルメニアの詩人『サヤト・ノヴァ』へのオマージュのようですが、最初に次のような字幕が出ます。
「18世紀
アルメニアの詩人サヤト・ノヴァの伝記ではない」
「詩人の幼年時代〜死」と8章に区切られ順に字幕が出ます。
ストーリーを追うというより、次々に差し出される美しいイメージを受け止めていけばよいのだと思います。エキゾチックな音楽(
アルメニアの民族音楽だと思います。)が流れ、時々短いことばと字幕が入ります。動く絵画のような、あるいは演劇性の強いダンスのような、とにかく(私にとっては)初めて見る作風でした。
そして、作品のイメージは美しいだけではなく、とてもピュアで健やかで悠久の時を偲ばせるものでした。宗教、習慣などが異なっても、底に流れる何かが私たちともつながっていると感じられ、画面から目が離せなくなりました。心がリセットされます…。(目の覚めるような赤をはじめとした色彩の美しさは格別です。)
※山羊を捌くシーンに「流血」が見られますが、表現としては穏やかなものです。私たち日本人が魚を捌くのとなんら変わりのないものとして受け止められました。普段、映画の「流血シーン」は人一倍苦手な私です…。
前著「強権と不安の超大国
ロシア」からあまり間を置かずのコーカサス地域情勢を概説した新書。かぶる部分は多少あるが、
ロシア外交やコーカサス文化について割と紙数を割いた前著に比べ、本書はグルジア・
アルメニア・アゼルバイジャンで構成されるコーカサス地域の国際政治経済に絞り、ソ連崩壊から今までの紛争史をフォローした。著者の面白い体験談なども盛り込んだ前著に比べると読み物としての面白みは薄れるが、「対
ロシア」に限られていた前著よりは、イラン、アメリカなど周辺大国のコーカサスへのアプローチがわかるので、利害関係がごちゃごちゃ入り組んだこの地域全体への見通しは本書の方が利いている。
小国で僻地、紛争地で観光地もなく、バクー油田以外に注目する資源もないコーカサスの情勢は日本ではまず注目されない。今にも
ロシアと開戦かというほどグルジア情勢が緊迫度を増しているが、グルジアが崩壊したところで日本では芸能人の結婚ネタの方が大きく扱われるのだろう。でも、注目を集めつつあるこの地域の情勢の本は日本では本当に少ない。ちらりと頭に入れたいというなら、本書は有益であると思う。