ここ数年,中国・韓国・アジア・太平洋戦争関係の本を読み漁ってきました。その中で遠藤さんの本に出会って,チャーズからはじめて,ほとんどの本を読みました。しかし,この本だけは,たかが漫画についての本だろうとたかをくくって読んでいませんでした。
ところが,最近,たまたま読み始めたら,面白いの何のって,次から次へと衝撃の事実が明らかにされていく。詳細はほかのレビューに書いてあるので書きませんが,まるで推理小説を読んでいくように,次々と真実が明かされてゆくわけです。
私も遠藤さんと同じ物理学者なので,仮説を立て,それに対するデータを探し出し,また仮説を立て,またデータを探す,という手法は,なじみ深いものです。(この本では,データの方が先かもしれませんが。)
前半の動漫についての話も,アッと驚くようなことばかりで,こんなことがあったのかと思いましたが,もっと面白いのは後半の,中国社会の本質に切り込んでゆく部分です。中国の高官が,「中国はいずれ民主化する。いますぐではないけれども。」と発言したというのはショッキングでした。本当にそうなるといいのですが。中国という国は100年単位で物事を考える国ですから,民主化するとしても時間がかかるかもしれないし,一方ではネットの力で案外早く実現するかもしれない。
と,ほめちぎったうえで,いくつか誤解があるようなので,指摘しておきます。
p.372で,「一部の人をのぞけば,…中国を忌み嫌い,中国をさげすみ,謝罪という罪の意識には鈍感になって行くのである。」とありますが,私は全共闘世代ですが(ノンポリでしたが),少なくとも当時は,大学構内の膨大なタテカンはすべて簡体字(「簡体字風」だったかもしれませんが)で書いてあり,中国革命に対する一定のリスペクトがありました。私も,毛沢東語録を買いました。文革時代も文革が終わってからも,まだ文革の本質が伝わってこなかったので,リスペクトは変わらなかったと思います。変わったのは,やはり,中国の経済発展のゆがみが明らかになってからだと思います。
同じページで,日本人が,「あの二つの原子爆弾も,日本軍の悪行への戒めとして,平身低頭,アメリカのお裁きを受け,盲従することも恥とも思わない。」と書いていますが,これはずいぶん昔の話でしょう。現在は,多くの人が,アメリカの原爆投下はそれこそ無辜の市民の無差別大量殺人であって,人道に対する罪だ,と思っているはずです。東京大空襲などの都市爆撃も同様です。
次のページ,靖国参拝を非難するところですが,これは中国と日本で死生観が異なることからくるもので,中国では,悪人は,永久に悪人のままですが,日本人はそういう感覚はない。一定程度時間がたてば,罪は償われると考えるのが普通です。もっとも,私も,A級戦犯は靖国から移した方がよいと思います。それに,靖国の隣にある資料館の内容はあまりにひどいですからね。あれは変えないといけない。そのうえでなら,靖国で,国のために亡くなった人を追悼するのは国家として当然のことです。(じゃあ,戦争の犠牲になった民間人はどうなるのか,という問題はありますが。)
さらに次のp.374の冒頭,「日本の青少年に歴史をありのままに教え」というのはその通りなのですが,では,歴史をねつ造して青少年に教えている中国・韓国はどうなんだ,と思ってしまいます。
p.376,(日本は)「どこの国とも戦争をしていない。」ですが,2012年秋以来の中国の動きをみていると,少なくとも日本を防衛する戦争くらいは覚悟しなければならない,という気になります。私は,2012年9月の尖閣騒ぎの真っ最中に
北京にいましたが,CCTV(中国電視台)などのどのチャンネルも尖閣問題のニュースと討論番組と抗日戦争のドラマしかやっていなくて,討論番組を聞いていると,(
中国語は発音が強いので)今にも戦争が起こるかのように過激な議論がなされていました。(なお,私は
中国語は少ししかできません。でも,中国のテレビは簡体字の字幕が付いているので,それを読めば大体の内容がわかります。発音だけでは方言の違いが大きすぎて,
上海の人が
北京の言葉(普通話)を理解できないといいますからね。)2013年の現在も,中国監視船の尖閣に対する挑発はますますエスカレートしています。尖閣の帰属に関しては,1951年の人民日報の記事の中で明確に日本のものだと書いているわけですから,現在の中国の主張は,マフィアまがいのものだと言わざるを得ません。
p.393,「日本に留学した中国人の多くは,確実にこの「大地のトラウマ」から解き放たれている。・・・入管の感覚はすでに時代遅れなのだ。」ですが,遠藤先生のところに来るような優秀な留学生はそうだと思いますが,私の大学でも,中国からの留学生が犯罪(万引き)に手を染めたり,中国人による犯罪が依然多いことを考えると,入管がそう簡単に規制を緩めるわけにはいかないと思います。
p.397,「そもそも中華民族という言葉は・・・今では「中華人民共和国国内に居住し,中国国籍を有する者」と定義されるようになっている。」はそのとおりですが,これは全く欺瞞で,チベットの人が聞いたら激昂しますよ。そのあとの,「清朝政府が満州族だろうと,それはあくまでも「中華民族」というくくりで考えなければならないものである。」というところも,これは中共の勝手な主張で,中国の歴史は,新しい王朝ができると,自分の都合のいいように過去の歴史を書き換えてきた歴史であって,それが「正史」とされてきたのです。現在の王朝である中共の主張をうのみにしてはいけません。
こういう欠点はあるが,素晴らしく面白い本であることには変わりがない。