収録作は順に「魔法」「静かな恋の物語」「ロボ」「For a breath I tarry」「鶫とひばり(ひばりは旧字体漢字)」「光の栞」「希望」。
冒頭二篇「魔法」「静かな恋の物語」と読んでみた時点で「これは凄い」と思わされた。 そして「この人って、こんなに優れた(短編)SF作家だったっけ……?」と驚かされてしまった。 過去の幾つかの瀬名秀明の長編作品(デビュー作『パラサイト・イヴ』については後述するとして)例えば『BRAIN VALLEY』『八月の博物館』『デカルトの密室』等については科学とロマンチズム・叙情とエンターテイメントとしての配慮(?)が何やら混線して、特に後半「これは酷い」と思えもしていた。 しかし、かつての瀬名作品に対して僕の中に根強く合ったそうした反発なり残念は「魔法」「静かな恋の物語」の中にはまるで見出せなかった。
いや。確かに初出で読んでいた収録短篇「ロボ」「For a breath I tarry」「鶫とひばり」、そして何より表題作にもなった「希望」は大傑作だった。 ならば、僕の驚きは着実にその歩みを追って来た瀬名ファンからすれば「なにを今更」というものだったのだと思う。 この場を借りて、一読者として瀬名秀明さんとそのファンに失礼をお詫びしたい。
その上で以下、各小説についての感想。
「魔法」は充実した科学知識の積み上げと、時に批判もされてきた著者の色濃いロマンチズムが美しく結びついた傑作。 また、恋人たちが交わすあるカードを示す符号から「これがジャンルとして本○○○○○作品でもある」こともさりげなく示され、その面からみても素晴らしい短篇。
「静かな恋の物語」も同じく「科学+ロマンチズム」という一篇。 「魔法」があるジャンルにも属する作品だったのに対して、こちらは「○史○○○Fでもあること」に仕掛けと妙味があると思う。 この作品が「For a breath I taryy」と同じ本に収録されていることも、興味深くも美しいことと思える。
「ロボ」。この一篇への感想は複雑だ。 巻末の風野春樹さんの解説にもある「瀬名秀明とSFの間には、ちょっとした因縁がある」という話、特に『パラサイト・イヴ』に対する自分の反応を振り返らざるをえないから。
「「アーネスト・シートンも、一時期は擬人化が過ぎていると学者たちから厳しい批判を浴びたのでしたね」 彼は無言だった。言葉をつないだ。 「学者だけじゃない、狩猟仲間だった当時の大統領からも手厳しい批判を受けて、シートンは社会的な名声を、自然史家としての信用を急速に失い、ほとんど作家生命を絶たれたと評伝で読んだことがあります。彼は社会から離れてこつこつと地味な博物誌を書き続け、後年になってようやくその仕事は評価されたそうです」」(p131-132)
このくだりからは『パラサイト・イヴ』への負の反響が連想されてしまってならない。 『パラサイト・イヴ』を読んだ当時僕は「一人だけで本を読み、特にSFと意識せずSF小説も時折手にする読者」であったのだけれど。 あの「擬人化」と、当時あの本が「ちゃんとした研究者がちゃんとした学問成果を踏まえて書いた小説」という売り出し方が相まって「ただでさえ竹内久美子みたいなクソがのし歩いている中に……」と非常に強く反発し、その後数年に渡り「瀬名秀明」という作家の活動に関心を向けようとしなかった。今になって振り返れば、諸々考えさせられてしまうところはある。 とりわけ「ロボ」のその後の展開。とりわけ締め括りの「自然史家」の叫びと「ぼくたち」の疾駆を目にするとき。 稚く狭量な決め付けと自分の世界からの排除とを、恥らいと反省を以て振り返らずにはいられないと思いもする。
「鶫とひばり」については巻末解説が素晴らしい。付け加えられることなどなさそうだ。 ただ「(初出の)『サイエンス・イマジネーション』は一冊の本として大変に野心的かつ素晴らしい構成を持ち、優れた考察と小説が集まった良著だ」という推薦(「僕ごときが何を」とは思いつつ)はしておきたい。
「光の栞」と「希望」については、あまりにも美しく肯定的な「光の栞」がそこまでの流れを受け、いわば総決算のように現れた上で。 その直後かつ巻末という場において、大傑作にして解説においても「現時点での代表作」と評される「希望」の懐疑と強烈な批判が示される構成が凄まじい。 二作合わせて、短篇集『希望』におけるハイライトであると思う。 なお、「希望」については初出の『NOVA3』(2010/12)の時点で直ちに界隈で話題になっていた(と思う)作品でもあり、この一冊で気になった人は『NOVA3』の感想や評を探して読んでいくのも興味深いことだろうと思う。
僕の中で書評家、本の紹介者としての瀬名秀明の評価は以前からとても高く持っていたけれども。 この『希望』を読んでしまった以上、今後は小説家・瀬名秀明についても高い注目と期待を以て見ていかざるを得ないと思えた。
連作短編集『ハル』『第九の日』の存在がありながらも、「作者本人も本書を第一短篇集としたい意向」(巻末解説より)のだという。 新たに優れたSF短編作家としての顔を見せた瀬名秀明の第一歩として、実に力に満ちた一冊であると思う。
小説には色々なジャンルがありますが、特に好き嫌いが別れる分野に『ハードSF』があります。 これが嫌われる理由のひとつに、下地となる知識と興味が必須、ということがあるのではないでしょうか。 文章でのみ伝える以上、筆者と読者の間に単語に対する共通認識が必要となります。 『遺伝子』と書いてことが済むのは、読者が漠然とでも遺伝子という言葉とその意味を知っていて成り立ちます。
さて、本作『パラサイトイヴ』ですが、もちろんハードSFではありません。 そういう意味では、筆者の前にはとてつもない困難が立ちふさがっていたことかと思います。 よほど興味がある人でなければ、本作に登場する単語の数々は「何のことやらさっぱり」という事態に成りかねません。 当然ながら小説として物語を読者に楽しませる上で、通俗的でない単語には『説明』が必要となります。 説明を回避する手法も当然あるでしょうし、より文章として楽しめる書き方に留めるということもあります。 ですが、本作においてそれらの手法を取り入れると、また違った小説となったことと思います。 ありていに言ってしまうと、あらすじはB旧ホラー映画のそれです。 要するに、映画版の為体、ご覧の有様という感じです。
瀬名氏の最大の功績は、説明に真っ向から勝負を挑んだことかと思います。 これら説明を退屈な代物にせず、楽しめる部分とし、その細部の拘りによって荒唐無稽な話に命を吹き込んでいらっしゃいます。 だからこそ、この話は小説で楽しめる物で、映像に頼ることなく文字で為しえたということに賞賛を送りたく思います。 前半部からストーリーと平行して続く、楽しめる説明。 中盤から怒濤のごとく盛り上がりを見せる物語。 ラストは賛否両論あるでしょうが、個人的にはあの結末でなければ、それこそB旧映画になってしまったと思います。
この話は小説で読んでこそ面白い、と思います。 映画版を観て小説を読んでらっしゃらない方に、特にお勧めいたします。
結婚して一年、愛する妻自動車事故で死亡した。精神崩壊しかけている永島が妻の肝臓を勝手に遺体から持ち去り、葬儀にも参列しない。妻に語りかけるようにして肝臓を慈しみ培養する。ある日、肝臓のミトコンドリアは意思を持って動き始めるようになる。一方腎臓移植された麻里子の体に異変が生じる。麻里子は「得体の知れぬ物」を生み出す。それは病院を動き回り…
「ミトコンドリア」の陰謀がテーマですが、聖美が清らかでとても美しい。その現実感のない「美しさ」こそがミトコンドリアの罠であり、永島をある目的に利用していた。その美しさを武器に永島を惹きつけ結婚。そして聖美の交通事故すらミトコンドリアの意思。 しかし、実はミトコンドリアより先に麻里子自身も永島を愛していました。ラストの屋上での永島の炎上シーン。むしろハッピーエンドのようで泣けます。
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